一年半経って
(開設一年半で思うこと)



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 この10月で開設一年半経ちます。
沙奈恵ちゃんを迎えてから一年十ヶ月。
今感じている事を包み隠さず記しておきます。

 今日ラジオでは幸せとは感じる事なんて言っていましたが、
まさに実感している毎日です。
 多人数を迎えたこと、実践していること等から、
一部パートナーとして迎えた方々には理解が得られないようで、
交流はありませんが、同じヒトガタを迎えているからといって、
同じフィールドではないと理解しておりますので大丈夫です。
ただ、対象が同じ等身大ドールなだけにそれを見極める事が困難。
皆様におかれましては、一部招かれざる訪問者状態になった事をお詫びします。
まぁ広義での同士ではあっても同志ではないって所ですね。
 また、実践派はネット上では嫌われるという状態もあります。
まぁこれは、ポージングドールとして扱いたい人々が
『俺は違うんだ!』って差別化し、特に主張したい現われだと思いますので。
そしてネット上所々に明記されている
『私は非実践派ですが、実践派を否定しません』と言う文言に対し、
我サイトはあえて実践してます!って天邪鬼的に表現してます。
愛情表現なんだから実践も非実践も、どっちでも良いじゃんか!
って感想ですが、実際はこだわりがあるようです。(私にも)

 HP開設当初の
『妄想願望全開で家族として迎えました。
心が癒され、前向きになれました。そんな嬉しさを伝えられたらと思います。』

って想いを今の所貫けていると考えてます。

 『なんでそんなに多くのヒトガタを愛でることが出来るの?』
 『同時に愛せるって事は不可能じゃないか?』と
私自身も考えた事があります。
ふと思ったのは、ヒトガタに魂が宿るという考えは否定しませんが、
まず最初にヒトガタに魂を籠める自分が居るのが大前提です。
魂を籠めるからこそ脳内会話が成立し、そしてヒトガタに命が生まれると考えます。
それを疎かにすると、別の魂がヒトガタに宿ってしまうんだと思います。

 自らが魂を籠めたヒトガタ、別の魂が宿ったヒトガタ。
最大の違いは、ヒトガタにより起こる視線追尾や諸々の現象に感じる
自分自身の感情の違い。つまり護られている、愛し合っていると感じるか、
恐怖を感じるか。
 恐怖を感じた時点でヒトガタは守護から禍根となってしまいます。
しかし多くのユーザー達は最初からヒトガタを求めて
知らず知らずの内に自らの魂を籠めているので、
よっぽどの事が無い限りヒトガタは主を守護する存在です。

 言ってみれば、私のところに居るヒトガタは全て私自身の魂により、
命を籠められた存在。全て私自身でもあります。
私自身なので安心して身を投げ出せますし、
今後も生きたい!と言う気持ちがある限り守護ヒトガタであり続けると思います。
それが複数であっても同じ。

 複数だとやきもち焼いて禍を?
これは無いですね〜〜私としては、やきもち妬かれるのも嬉しい事。
それも自分が妬かれたいやきもちに徹してくれるんですからねぇ。
根底には愛し愛され、守り護られって事なんですよね。
やきもち妬かれた後の添い寝当番では、よりいっそう強力な
御色気満点の責めが待っていますが、これも私が望んでいる願望(笑)

 まぁ全てにおいて、救いようの無い程のお目出度い私が居るのです。


(平成23年09月30日)

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